2006年02月10日

囲碁普及 学校教育に囲碁1

 今まで幾つかの学校で囲碁を教えているという話題がありましたが、これに関しては賛否両論があると思います。
 囲碁という優劣の付くものを、教育の場に持って行くのはどうか?という意見もあると思いますが、これに関しては教科の一つとして捉えるのでは無く、あくまで教育補助の一環としてという意味になると思います。
 授業であった事柄…或いは試験にでるもの、という事を思い起こせば、どうも記憶力?もしくは要領の良い人の方が成績が良いのではないか?そして、試験を過ぎてしまえば、そんな事など忘れてしまうのではないか?という気がします。囲碁は、記憶するという点では大したルールを持ち合わせず、尚教育にとって重要な、主観性・創造する力を育てるという面があります。

戦時中のドサクサで生まれた○×試験


 ルーズベルト政権の頃1941年から始まる第二次世界大戦の中で、軍需拡大による一般労働者・技術者の大量採用が急務となりました。
 その為、採用試験に際して、処理のスピードアップという名目で、○×試験が行われるようになり、それが1947年に、教育の現場にもSAT―「全米共通進学適性試験」というものが実施されるようになります。
 この試験方法は、科学的・客観的な評価に優れるという事でしたが、大分前にアメリカの教育界では大問題となりました。
 
 問題1「○○に関して正しいものを、次の5つの中から選びなさい」といった形式で出される試験には問題そのものを自分で選べない、5つの中からしか正解を選択できない、という短所があり、子供にとって想像力、観察・洞察力といったものを奪ってしまうのです。
 
日本に持ち込まれた二元論的思考

 
 戦後GHQによって、様々な事柄が改変されました。ドイツのワイマール憲法を写して、僅か2週間で日本国憲法が誕生しました。
 教育界にも、上記の試験方法が導入される事となりました。しかし、この試験方法では「一方的な情報=教育の詰め込み、詰め込まれた情報の中からの選択=試験の解答」という人間の危機管理能力、問題点はどこかを探す力、主観に基いた意見、想像力を消し去ってしまうのです。
 むろん、教育だけの問題では無く、恐らくはテレビ、ゲームと言った一方的な情報をただ享受するだけというメディアの氾濫など、色々な点にある事でしょう。

 また、経済活動をする内に、サービスの強化、便利さの追求がなされた事も一要因としてあったと思いますが、人間は徐々に依存性が高くなり、更に悪い事に、何かが間違っていると思う、しかし、それが何でだか判らない、といった判断力や問題点を自ら見極める力を失っているのです。
 
 囲碁はその問題に関して、一石を投じ得るのではないか?という気がします。次回はその点に関しての考察にしたいと思います。
posted by SeaChild at 23:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 囲碁普及| Edit
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